この対談(友だちは作っちゃいけない!?(前編) 精神科医とアイドルプロデューサーが『友だち幻想』を読む)に、......最近だと、先生が下位カーストをかまうと先生も下位に落ちちゃったりして完全にカーストに組み込まれている。......ってなことが書いてあって、なんかわかるなあと思ってみたり。清く正しく公平にってのは、中学・高校に限らず、どんな場合もなんだか難しい気がする。明確な基準を持てているのか?みたいな。
夕食に鶏肉を酢で煮る系の煮物を作ったのですけども、味付けに失敗(具体的にはしょっぱすぎた...)し、非常にツライ気分。ダウナー。
聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアを観る。絵はすごい綺麗で印象的だし、ディテールも細かいし、キャストもそれぞれ怪演でよいのだけども、この不条理さをうまく解釈できなかった。むむむ。笑わせるでもなく、怖がらせるでもなく、ただただ不気味で奇妙な展開。特に自宅に戻ってからは(話としては重要な部分なんだろうけど)誰を選ぶか、誰が選ばれるかの展開が、シリアスかつコメディかつ不条理で、なんていうかモヤモヤとしたまま終わっちゃう=もどかしいのが正直なところ。この監督、いろいろ気になるので別の作品も観てみることにしよう。
追記...風呂に入りながらいろいろ思案して、まず真の発動は、あの説明を病院のカフェテラスで聞いてしまったことかな...と。すでに因果が発動していることを、彼は伝えたかったようにも思うけど、聞かなければ(トータルのストーリーが展開しないという意味で)もしかしてどうにかなったのでは?それと妻・娘・息子という選択肢では、大人になっていない=汚れていない=聖性という意味で最初から息子一択だったのかな。散々体毛の話や精通の話、それに初潮の話がでていたので、きっとそうだよね。だとすると、どんな抽選方法を使っても息子が犠牲になるわけだから、その方法はもうちょっと優しいというか、もう少しこう何というか、手心というか......みたいな。
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